メアリー・カサット

メアリー・カサットの小さな伝記

メアリー・カサットの小さな伝記

メアリー・カサット『自画像』 1880年

メアリー・カサットは、1844年5月23日、アメリカのペンシルベニア州アレゲニー・シティ(現在のピッツバーク)に生まれる。

父ロバート・S・カサットは、ブローカーとして財をなし、市長やセレクト・カウンシルの会長を務め、母キャサリン・ケルソー・ジョンストンも銀行家の家の出ということから、メアリー・カサットは裕福な家庭で育った。

経済的に恵まれた環境だったこともあり、教育の一貫として幼い頃から各地を旅行し、10歳になるまでにヨーロッパ各地の首都を色々と巡ることができた。

その後、1851年からの数年間、カサットの一家は、子供たちの教育や、病弱だった次男ロビーの治療のためもあってパリに居を構えることになった。

パリ生活のなかで、メアリー・カサットは、母と一緒にルーブル美術館を訪れたり、1855年のパリ万博でアングルやドラクロワの作品に触れる機会を持つなど、芸術を身近に感じながら子供時代を過ごした。

残念ながらロビーが亡くなり、再び一家でアメリカに戻ったのち、1861年、メアリー・カサットは画家を目指すことを決意。フィラデルフィアの美術アカデミーで学びながら、ヨーロッパに戻ることを決める。

当時の女性にとって馴染みのない画家という夢に、当初カサットの父ロバートは反対したが、母親が一緒に行くということを条件に許可した。

こうして1866年、パリに戻ってきたメアリー・カサットは、シャルル・シャプランや、ジャン・レオン・ジェロームの私塾に通学。また、友人と旅をしながら、絵画の制作を続け、1868年、『マンドリン演奏者』で初めてサロンで作品が入選する。

メアリー・カサット『マンドリン演奏者』

しかし、1870年、普仏戦争が勃発し、娘のことを案じた両親の命でカサットはアメリカに帰国することとなる。

彼女は両親の住んでいたホリデイスバーグで暮らすが、その地には彼女が描くためのモデルや画材もなく、また誰も彼女の作品に興味を示すこともなかった。

当時のカサットは、絵が描けず、もう一度ヨーロッパに戻りたい、という悲痛な想いを友人に宛てた手紙に綴っている。

写真をもとにする以外には、絵を描けないのです。私は自分のアトリエを捨て、父の肖像を引き裂いてしまいました。

ここ6週間というもの、私は絵筆に触っていませんし、ヨーロッパに戻る希望が抱けるようになるまでは、そうすることはないでしょう。(カサットが友人に宛てた手紙)

出典 :『印象派の華 モリゾ、カサット、ゴンザレス展』図録

その後、幸運にも、彼女の作品がピッツバーグ司教の目に留まり、司教からの仕事の依頼をきっかけに、もう一度ヨーロッパに渡ることができたメアリー・カサットは、イタリアのパルマでアトリエを借り、画塾に通った。

それから1874年、フランスに移り、姉のリンダと一緒にアパートで暮らすようになる。

その頃から、カサットは保守的なサロンの姿勢に批判的になり、1875年、彼女の描いた姉の肖像画に対し、サロンは作品を拒否、伝統的な規範に従うよう修正を要求したことが、人生の転機となる。

メアリー・カサットは、のちに晩年まで親交を築くことになる画家のエドガー・ドガに誘われ、サロンの価値観に反旗を翻す印象派のグループとともに歩むことを決める。

彼女は、1879年に開催された「第4回 印象派展」に出品し、以降、第5回、第6回、第8回に参加する。

1882年に開かれた「第7回 印象派展」に参加しなかった理由は、印象派の画家であり絵画収集家でもあったギュスターヴ・カイユボットが、印象主義でない友人たちを拒否したことから、内部分裂が勃発、メアリー・カサットとドガが不参加となったのである。

最後の「第8回 印象派展」に参加したあとは、徐々に印象主義的な作風から離れ、独自の形を歩んでいくようになる。

メアリー・カサットは、断固とした性格で、率直に語り、自尊心の高い女性だった。

実際に会ったことのある作家のヴァーノン・リーは、「自分の才能に自信を持ち、文学に熱中する芸術家と、子供っぽくお喋りなアメリカ人女性とが混じっている」と印象を語っている。

カサットの評価は次第に高まり、1898年にアメリカに帰国すると、まもなく数多くの褒賞が与えられることになる。

しかし、審査制度に不満があったメアリー・カサットは受賞を拒否した。

晩年は、フェミニスト活動にも関心を寄せるなど、高齢になっても精力的に活動したが、白内障になり視力が低下したことから、1915年以降は絵画制作を断念。自作の販売促進の活動に専念した。

メアリー・カサットは1926年、82歳で亡くなる。

生涯独身で、子供もいなかった。一人の独立した女性として生きた。「私はアメリカ人であり、ひたすら、断固として、アメリカ人なのです」とカサットは語っている。