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太宰治の絵画と芸術論

太宰治の絵画と芸術論

小説家の太宰治は、中学時代から美術にも興味を持ち、小説のなかに画家や美術作品なども登場します。

また、太宰治自身も自ら絵を描き、学生時代に同人誌の表紙をデザインしたり、ノートに自画像の落書きをしたり、後年には友人の画家のアトリエで描いた油絵の自画像や風景画も残しています。

一時、文学と美術のどちらの道に進もうかと悩んだ時期もあったと言います。

太宰治が絵に興味を持った背景には、東京美術学校に進んだ兄の影響や、画家の友人たちとの生涯に渡った交流などがあったようです。

太宰治 デザイン太宰治が編集、表紙のデザインも行なった同人誌(青森近代文学館蔵) 1928年

太宰治 肖像画太宰治『久喜君像』(佐賀大学美術館蔵) 1936年頃

太宰治 風景画太宰治『風景』(個人蔵) 1940年頃

太宰治 自画像太宰治『自画像』(個人蔵) 1947年頃

太宰治の絵には、ゴッホやゴーギャンといった後期印象派や、フォビズム(野獣派)の画風と共鳴するような力強さがあり、専門家は、『久喜君像』について、「日本人がつくったもっとも純粋な形のフォビズム」と指摘しています。

代表作である『人間失格』のなかにも、絵画に関する次のような文章が出てきます。

自分たちの少年の頃には、日本ではフランスの所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとの絵は、田舎の中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。

自分なども、ゴッホの原色版をかなりたくさん見て、タッチの面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいた ───

出典 : 太宰治『人間失格』

自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。

けれども、自分のかいた絵は、自分の綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。

自分は、どだい人間の言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象の表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。

学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目でたらめにさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。

中学校へはいって、自分は油絵の道具も一そろい持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。

出典 : 太宰治『人間失格』

この小説は、フィクションの要素もありながら、作者自身の自伝的な色合いも濃いと言われているので、この辺りも実際のことかもしれません。

加えて、太宰は、随筆集『もの思う葦』に収録されている「芸術ぎらい」という文章のなかでも、自身の芸術論のような思案に触れ、この芸術論は、多少毒も含んでいますが、まるで印象派の宣言文のような文面となっています。

少し長くなりますが、引用したいと思います。

誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐ふがいない話であります。

はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標を置いているようです。〈芸術的〉という、あやふやな装飾の観念を捨てたらよい。

生きる事は、芸術でありません。自然も、芸術でありません。さらに極言すれば、小説も芸術でありません。小説を芸術として考えようとしたところに、小説の堕落が胚胎はいたいしていたという説を耳にした事がありますが、自分もそれを支持して居ります。

創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、〈正確を期する事〉であります。その他には、何もありません。

風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい。

風車が、実は、風車そのものに見えているのだけれども、それを悪魔のように描写しなければ〈芸術的〉でないかと思って、さまざま見え透いた工夫をして、ロマンチックを気取っている馬鹿な作家もありますが、あんなのは、一生かかったって何一つ掴めない。

小説に於いては、決して芸術的雰囲気をねらっては、いけません。あれは、お手本のあねさまの絵の上に、薄い紙を載せ、震えながら鉛筆で透き写しをしているような、全く滑稽こっけいな幼い遊戯であります。一つとして見るべきものがありません。

雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜じとくであります。〈チエホフ的に〉などと少しでも意識したならば、かならず無慙むざんに失敗します。無闇むやみ字面じづらを飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。

君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、いつまで経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。

出典 : 太宰治『もの思う葦』(芸術ぎらい)

創作はなんであれ、まずは誰かを手本にして修練を積みますが、しかし、いつまでも手本から抜け出せないのは困る、と太宰は言います。

作品をつくるたびに、「誰それのように」という余分な要素が入ってしまうからです。

これは、「芸術的」というあやふやな想念も同様で、こういう風にすれば「芸術的」なのではないか、という小手先の装飾を行うことで作品が堕落する。

文章を書く上でうっかり行なってしまうのが、「無闇むやみ字面じづらを飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする」ことですが、太宰はこうした雰囲気狙いの行為を切り捨てます。

自分がどう見えたのか、感じ取ったのか、その「印象」を実直に、正確に表現しようと試みることが肝要だ、と。

主観的であれ、単純な眼を持て、と太宰は叱咤する。言い換えれば、「あなたの観たままに描け」ということなのでしょう。